大学の講義には無駄が多すぎる件

       
   

現状、講義に出るのは無駄と思われても仕方がない

お久しぶりです。

記事のストックがかなり溜まっているのですが、Twitterでこのテーマについてボヤいたところ

何人からか反応が来たので、140字には止めずブログにまとめてみました。

支離滅裂な箇所もあるかもしれませんが、そこら辺は読者さんのコメントで補完してくれればと思います。

とにかく記事の流れは、大学の講義に関して2年間で思ったこと( 特に出席と板書とテスト )をまとめてみて、解決案(講義データの開示)を示す、という流れにしようと思います。

思うことその1:出席は必要なのかどうか

まず、大学の講義において、「出席」というシステムについて言及してみます。

果たして出席を取ることで得られるメリットにはどのようなモノがあるのでしょうか?

フォロワーさんからの意見も含めて、まとめてみたいと思います。

  • 同じ学問を学ぶ者同士、議論して刺激しあうべきだ。
  • 生の講義でしか得られないものがある。
  • 講師のモチベーションが上がる。

確かに、これらの意見には私も賛成です。

ゼミや英語、第二外国語など、グループワークを必須とする講義。

もしくはフィールドワークを中心とした講義は、参加人数が少なければ成り立ちません。

また、生の講義でしか得られないものも数多くあると思います。

ニュースの内容などのタイムリーな情報や、雑談なども出席しなければ味わえません。

そして単純に、学生の数が多ければ多いほど講師陣のモチベーションも上がるかと思います。

(中には少ない方がいい講師もいるみたいですが・・・)

こう見ると、出席を強制した方が良い気もしますが・・・

それでは出席を取ることによるデメリットも考えてみましょう。

  • 出席を取ること自体めんどくさい。
  • 意識の低い学生も出席することになり、その他大勢の学生に迷惑がかかる。
  • 学生のモチベーションが下がる。(講師のプレゼンが下手な場合)

多くの私立大学では、カードなどの電子機器で出席を取っているそうですが、私の大学はプリントを提出させる形式を取っています。

わざわざ出席カードを書かせて、それをエクセルやら名簿でチェックして・・・

その作業自体めんどくさいですし、記入ミスなどのヒューマンエラーが起こりかねません。

また、学生数が増えれば増えるほど、迷惑をかける学生は出てきます。

講義中の私語はもちろんのこと、漫画、Twitter、ゲーム・・・

個人的には他人に迷惑をかけなければ何でもいいと思うんですが、人によっては横で漫画を読まれると迷惑と思う人もいるでしょう。

さらには、出席があるかないかは学生のモチベーションに直結します。

とりわけ、下手な講義でかつ出席が強制されている場合、モチベーションは急降下します。

「こいつの講義聞くぐらいなら自分で勉強した方が早いわ」

と思うような講義が多く存在することを否定できません。

このようなメリット・デメリットが存在することを考えた上で、講師側は出席を取るか取らないかを考えていると思います。

その2つの場合について講師視点から考えてみると

出席を「取る」場合

  • できる限り多くの学生に講義の興味を持ってもらいたい。
  • 出席することでしか得られない何かがある。
  • 他人に迷惑をかける学生はできる限り注意する。

出席を「取らない」場合

  • 興味のない学生は初めから来ないでほしい。
  • 出席を取るのも、迷惑をかける学生を注意するのもめんどくさい。
  • テストさえ取ってくれれば単位をあげる。

多くの講師陣がいずれかの考え方であるかと思います。

個人的には、大学は義務教育ではないので、やりたい人だけ勉強すればいい、つまりは後者の意見に賛成ですが、大学もビジネスである以上前者の考えを捨てきれないのも理解できます。

この時点では「学生に出席させる」というシステムが無駄だとは言い切れません。

そこで「板書」について考えを述べてみます。

思うことその2:板書は必要なのかどうか

大学の講義、とりわけ社会科学系の講義では板書をひたすら書かせる講師も少なくありません。

ひたすら板書をさせて、ノートをつくらせるなら、それをプリントで配った方が効率的じゃないか?と思います。

(ただ、勉強意欲のない人にとっては、板書をさせることで強制的に知識をインプットさせることができるという効果もある? )

また、最近ではパワーポイントで講義を進める方も多いでしょうか。

とりわけ、パワーポイントとともにレジュメを配布させ、レジュメに書いていない内容をメモで取らせる人が多い気がします。

ここで考えたいのは、講義資料を配布するべきかしないべきか、です。

これも含めて、板書を取らせる講師と取らせない講師の視点をまとめてみましょう。

板書を「取らせる」講師

  • 講義に毎回来させて、強制的に板書させることで知識を無理矢理詰め込む。
  • 最低限の資料を渡し、メモを書かせて補完させる。
  • 「書く」ことで覚えさせようとするので、講義資料は配布しない。

板書を「取らせない」講師

  • 基本的に伝えるべき内容は全てレジュメに載せる。(追加内容をメモさせるくらい)
  • 板書を取ることに集中させるのではなく、話を聞くことに集中させる。
  • 学生に自学自習してほしいので、復習用として講義資料を公開する。

以上のような感じになるでしょうか。

前者は、やる気のない学生も救済しようとしているのに対して、後者はやる気のある学生だけを対象にしています。

個人的には、大学は義務教育ではないので、やりたい人だけ勉強すればいい、つまり後者側の意見です。

ここら辺りから、「出席」と「板書」の関連性が見えてきましたね。

ここでもう一つ「テスト」について思うところをまとめます。

思うことその3:テストの難易度について

一番重要な箇所は、単位認定についてかと思います。

単位を渡すというのは、講義内容の学力が身についている、と学校側が認めることですから、その基準が低ければ低いほど学生の学力は低くなります。

講師の単位認定方法についてまとめてみましょう。

  • 論述式のテストで持ち込みアリ・ナシ
  • 選択式のテストで持ち込みアリ・ナシ
  • レポート提出
  • 出席のみ

この中で最も難易度が高く、そして学力が身につくのは論述式のテストかつ持ち込みナシの方法でしょう。

持ち込みナシということは、事前に必死に勉強して最低限の内容を暗記し、さらには暗記した内容を踏まえて自分の意見を書かないといけないので、しっかり講義の内容を理解していないと書けません。

逆に最も難易度が低いのは、選択式のテストで持ち込みアリの場合です。

テストはプリントを見ながら写経すればいいので、身につく学力もクソもありません。

レポートに関しては難しいところですが、きちんと添削がされるのならば、選択式の持ち込みアリのテストよりかは学力は身につくのかと。

こう見れば、学力が身につくのであれば最も難易度の高いテストを行えばいいじゃないか、という話になるんですが、実際そうもいきません。

大学もビジネスなので、評判の悪かった講義、需要のない講義は淘汰されていきます。

つまり「テストが取れない=受ける人が少ない」という構図が成り立つ大学では、テストを難しくすることは、お客さんのことを考えれば不可能なわけです。

実際、私の大学でも多いのは「論述式・持ち込みアリ」もしくは「選択式・持ち込みナシ」のパターンが多いです。

ただし、くどいながらも、大学は義務教育ではないので、やりたい人だけやればいい、そういう考え方からすればテストの難易度は高い(というより講義内容が身についたかしっかり判別できる)方がいいと思います。

現在の大学講師の2パターン

さて、「出席・板書・テスト」という3つの観点から大学の講義を分析しました。

これらから、大学の講師は極端には2種類に分別することができると思います。

(もちろん、他のパターンが混ざっている講師も多くいるでしょうが.

)

多くの学生に興味を持ってもらおうとする講師

  • 出席をできる限り取る。場合によっては出席点を与える。
  • 板書はできる限り取らせて、講義で覚えさせる。(予習・復習はしないことを前提)
  • テストはできる限り易しくして、生徒からの評価を高めるべき。

やる気のある学生に頑張ってほしい講師

  • 出席は取らない。来たい人だけ来ればいい。
  • 板書は取るも取らないも自由。予習・復習のための資料を配布。
  • テストはできる限り難しく(講義内容を理解していないと解けない)している。

なるほど、確かにこれらのパターンに当てはまる講師がも多いような気もします。

そして私の大学では、前者、つまり多く学生に興味を持ってもらおうとするタイプの講師の方が多いというイメージがあります。

で、ここからが本題。

多くの学生に興味を持ってもらおうとする講師は、やる気のある学生にとっては無駄でしかない、ということです。

そんなのお前の意見じゃねぇか!と思う方もいるかもしれないので、大学運営の視点からも考えてみましょう。

学生の学力低下は、大学を崩壊へ導く。

もし、大学の講師が皆、学力を必要としない、つまりは学生に合わせた楽な講義ばかりを行った場合、どうなるのでしょうか?

確かに「あの大学単位取るの楽だわー」という意味では、学生(=お客さん)からの評判も良くなるかもしれません。

しかし、大学を資本市場として捉えるならば、大学は学生を社会に送り出す役目があります。

その時、学力が低い学生ばかりだと、社会で活躍する可能性が低くなります。

つまり、著名人の輩出や、就職実績が軒並み悪くなっていくわけです。

そうすれば、偏差値にも徐々に影響が出始め、最終的に学生の数がどんどん減少していきます。

学生に合わせて、レベルを下げた結果、大学の崩壊につながるという皮肉が生まれるわけです。

超超少子高齢化が進む以上、レベルの低い大学はどんどん潰れていくでしょう。

人数が減ることのない歴史ある有名校であっても、講義のレベルを下げれば、それは日本全体の社会を見てもマイナスになるわけです。

優秀な人材が社会に輩出されないようになれば、日本の経済・文化自体が衰退していくわけです。(移民でも受け入れるなら別でしょうが。)

これらを考慮しても、大学側はレベルの高い講義を用意するべきだと思います。

解決策の提示

では、実際にどうすればこの問題が解決できるのでしょうか。

簡単に言えば、もっと講義のレベルを上げて、学力の高い学生を輩出するべき、ということです。

しかし、企業というものは貯蓄がない以上、現状の利益を優先させなければならないので、実質講義のレベルを上げることは不可能に近いです。

それでも、学生の中にはまだやる気のある、いわゆる「意識高い」学生が少ないながらもいます。

こういった学生の学力を向上させる方法を考えなければなりません。

別に、講義に必ず出席させようが、テストが易しかろうが、意識の高い学生からは苦にならないでしょう。

重要なのは、予習・復習をさせない点です。

とりわけ、私が気になるのは、資料データの配布です。

講師が使用するパワーポイントのデータや、レジュメなどを、公開させない講師も多いです。(公開したら講義に来なくなる可能性が高いから。)

しかし、その一部のやる気のある学生をほっといて、ダラダラと写経のように取らせたノートで復習させることは、やる気を削ぐことにも繋がるのではないでしょうか。

一部のやる気のない学生は放っておいて、復習のやりやすい環境、もしくは出席しない学生には取れないテスト内容を考えることが重要になってくるわけです。

そういう意味では、講義の内容を全て録画し、大学のWeb上で1年間は閲覧できるようなシステムがあればいいのになあ・・・なんて考えていました。

仮に意識の低い学生でも、動画を見ることである程度興味を持つきっかけになるかもしれませんしね。

加えて、講義中に他人に迷惑をかけている学生いれば、きちんと注意できる講師であることも必要でしょう。

そもそも、講義がうまい(=プレゼンがうまい)講師ならば、学生に興味を持たせることもできるし、講義を聞かない学生も減りそうなんでしょうけど。

そういう意味では、もっと講師側が学生に向けてのプレゼンテーション力を向上することが、最も近道なのかもしれませんね。

面白くないテーマでも、興味を持たせるぐらい話がうまい講師がもっと増えればいいのに。

まとめ

色々と長くなったので、ここら辺りで記事を終えておきます。

そもそも大学の勉強が社会で役に立たないんじゃないか、という議題も残っているような気もしますが、それはまたコメント欄や別の記事で。

最後にこの記事のまとめを残しておきたいと思います。

まとめ

現在、多くの大学では2つの講義のパターンがある。

1つは、できる限り学生に興味を持ってもらおうと、出席を強制させ、予習復習はさせずに、テストを易しくして、学問への興味を持ってもらおうとする講義。

もう一つは、やる気のある学生に頑張ってもらおうと、出席など取らず、予習復習の環境を揃え、テストは講義内容が理解できているかを正確に測れるものを実施。

大学の経営視点、そして日本全体の将来を考えても、後者の講義スタイルの方が良い。

だが、現状それは不可能であるため、最低でも大学は予習復習の環境を整えなければならない。その1例として講義を全て録画し配布するという方法があるのではないか。

他にも、より生徒に対して興味を持たせる講義・プレゼンの工夫が求められる。

色々と支離滅裂な内容も多いかと思うので、ぜひコメントで添削・補完していってください。

それでは最後までご覧いただきありがとうございました。

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